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戦争の爪痕を今に残す 嘉数高台公園へ行ってきた【2020沖縄#7】

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ここは、沖縄県宜野湾市にある嘉数高台公園です。周りに住宅街があり、なんの変哲もない地域の公園です。今回は映しませんでしたが、園内には滑り台などの子供が遊べる遊具があります。

 

私は、一般的に初めて沖縄に行く人が行く場所とは思いません。しかし、もし平和学習としていくのなら、私はこの公園がとても良い目的地であると思います。

 

私は沖縄戦普天間辺野古の問題に関して詳しくないので、何か間違っていることがあればご指摘願います。

 

 

 

嘉数における日本軍の奮闘

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太平洋戦争の激戦地であったことで、その手の公園内の案内は充実しています。この看板から引用すると、

 

1945年4月1日、沖縄本島の中部西海岸から上陸し南下した米軍は、嘉数を中心とした地域で、待ち構えた日本軍と最初の大規模な戦闘を始めます。戦闘の末に、日本軍は撤退し戦線は浦添・西原・首里・南部方面へと写りました。

ということで、嘉数で大規模な戦闘があり、ここで夥(おびただ)しい数の日本人兵士が死んでいったと言います。

 

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銃撃痕のコンクリート壁がそのまま残されています。

 

戦前の嘉数は田畑に囲まれた長閑(のどか)な集落でありましたが、いざ米兵が上陸した時には、日米両軍の銃弾が霰(あられ)の如く降り注いだと言います。

 

嘉数高台の陣地壕

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階段を中ほどまで登ると、陣地壕の入り口跡が見られます。壕はおそらく当時のままの状態で放置してあり、小さい虫がうろうろしています。

 

壕というと、防空壕塹壕などを思い浮かべますが、防空壕は市民が空襲から身を守るもので、塹壕は兵士が籠もって、砲撃したり身を守ったりする穴ですね。

 

陣地壕というのは、いわば兵隊が利用する秘密基地みたいなものでしょうか。このような地下壕が嘉数には無数に張り巡らされたそうです。

 

なお、この入口は南側にあり、米兵が北(北谷・嘉手納方面)から攻めてくることを想定したものです。実際に北から上陸されました。

 

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北側にあるトーチカ。コンクリート製の壕で、小さな穴から銃口を出して攻撃します(ここからは見えないですが)。先ほどの陣地壕入り口とは地下で繋がっています。

 

入り口を見に降りようとしますが、ここで羽虫か何かが眼球を直撃して、目がぁーー!(失礼しました)となりました。皆さんも小さな虫に気をつけてください。

 

慰霊碑

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丘の天辺には、京都の塔・嘉数の塔というものが戦死者を追悼して建てられています。なんで京都の塔なのかといえば、2536人*1の京都出身の沖縄戦戦没者を祀っているからです。

 

他にも、青丘の塔も戦死者の鎮魂のために同公園に設置されています。ひめゆりの塔だけじゃないんですよね。

 

普天間が見える展望台

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展望台。この形を見ると、回るタイプのジャングルジムを思い出しますが、危ないので今はあまり見かけないですね。

 

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さて、三階に登ると、綺麗な景色が見えます。見えているのは牧港(浦添市西海岸)方面。もともとこの地域は「かかじ」と呼んだそうな。

 

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出ました。ここが米軍の普天間飛行場です。この日はいくつかの航空機(オスプレイ?)が外に出してありました。午後から訓練をやってましたね。その時に使う用で出していたものだと思われます。

 

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普天間基地は何かあった時に心配だということで、移設の計画があります。もともと辺野古に移設する予定でしたが、民主党政権になって、時の鳩山総理大臣が「県外に移設できる」と言ったので、じゃあそっちにしてくれという世論が形成されました。時の政府への反感や様々な政治的問題とも相まって、今も問題が続いているわけです。

 

その沖縄県民のトラウマともいえる出来事が、2004年に起きた沖縄国際大学米ヘリ墜落事故です。この間も地元の小学校の校庭にオスプレイ緊急着陸したとして問題になっていましたね。安全性を疑っている住民も多く、市街地のど真ん中に造られた基地を危険視している住民は少なくありません。

 

この日も車の中にいてもわかるくらいブルブルと軍用ヘリの飛び交う音が聞こえていましたが、県民はそんなに動じませんでしたね。普段から慣れているんでしょう。

 

復興した沖縄

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1945年から沖縄を実効支配してきたアメリカは、1972年に沖縄を返還し、特に平成以後は経済発展を続けました。高速道路西原ICもここから見えますし、近年の都市化が著しく進んでいます。

 

写真向こうに見えるのは、浦添城址公園で、ゆいレール浦添前田駅からアクセスできるのですが、ここからも普天間が見えます。その奥には、那覇が隠れています。

 

暖かい沖縄と桜


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階段をよく見たら、桜が咲いています。ひょっとしたら北海道の5月より暖かいんじゃないでしょうか。サイクリングには恰好の季節ですよ。

 

おまけ:辺野古について

また、泊まっているホテルから嘉数高台公園へ移動する合間に、たまたま辺野古を通ったので、様子を見てみました。

 

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写真はキャンプ・シュワブのメインゲート交差点手前の光景なのですが、写真の右側のこの先300メートル程度はのぼりやデモ隊、テントの姿があり、地元のご老人なのか、十数人ほど居座って抗議活動をしていました。

 

この座り込みは違法なのか否か分かりませんが、この辺りだけは明らかに異様な光景であるということが、辺野古問題に精通していない私でも分かりました。

 

辺野古移設絶対反対」「腐った安倍政権を許すな」などの文字が国道331号線を走る車からもはっきり見えます。

 

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また、大浦湾はダイビングのできるところとして有名ですが、私が見たときには工事の船がたくさん海上に停泊してありました。

 

やはり埋め立てで環境が壊され、地元の評判や経済活動に影響を及ぼしますから、住民が抗議活動や募金活動に勤しむ気持ちも分からなくないです。

 

脇にそれると辺野古の集落がありますが、集落は穏やかなものと思われますがどうなんでしょう。地元民ではないので詳しく存じ上げないのですが、辺野古移設が問題になる前からキャンプ・シュワブと共生する村であることは間違いないです。

 

連載記事の紹介

この記事は、2020年沖縄シリーズの連載記事です。ぜひ他の記事もご覧ください。第一回は、シリーズ全ての記事へのリンクを貼っています。

sangen03.hatenablog.com

 

*1:看板によると、「柱」という表記をしていた