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結局、人間とは何か

生物学者、コンピューター科学の学者として弊学慶應義塾SFCで教鞭を執ってこられた冨田勝教授は自ら人間という生き物についての考えをまとめ、本に著しています。その内容を教えてくれた最終講義が1月末に開催されたので、キャンパス中に掲示があり、多くのSFC生やそのOB・OGがその講義を見に来ました。この記事はその最終講義のパクリというかインスパイアを受け、私にとって人間とは何かについて考えてみようと思います。先ほどの教授も一人ひとりが生きる意味を考えるのが望ましいと言っていたので、まさにそれを考える絶好の機会な訳です。

 

この間、人間らしさを最も実感する行事に出たのでそれを紹介し、私なりに人間とは何かについて考えさせられる出来事をまとめてみました。それがこちらです。

 

 

なぜか私のツイートで最大のバズりを経験したので、これについてちょっと書いていこうと思います。物語調での語りとなります。この記事の執筆にAIは断じて使用しておりませんし、AIについての記述も特にありません。

 

 

 

 

名古屋に着いた。私は名古屋は半年前に名駅周辺を少し探索したくらいで、土地勘がない。しかし、諸々の都合で名古屋で葬儀を執り行うことになったので、足元の悪い中私たちは遠路はるばる新東名を下っていった。

訪れた斎場はかなり新しく、地図にも載ってないところで、私たちの家が初めてだという。行くのにも迷ってしまった。

空が暗くなった。お通夜である。葬儀は家族のみのごく少ない人数で執り行われた。20〜30分程度の読経とお焼香ののち、スタッフが棺の蓋を開けて遺体を見せてくれた。

祖母に会うのはいつぶりだろう。実は去年の夏はまだ元気にしていたようなのである。帰省や大阪旅行では彼女の実家を宿にさせてもらったし、沖縄にも一緒に行ったのだが、今後はそれもなくなる。

小さな斎場に入ると、ひとつの棺があった。私は恐る恐る痩せ細った遺体に触れてみた。死に化粧の下に、冷たいタンパク質でできた皮膚がある。ドライアイスかまして非常に冷たくなっていた。

一瞬、本人に似せて精巧に作られたマネキンかなと思ったが、顎も動くし、スーパーで売っている冷えた牛肉と似たような触り心地だったため、嗚呼、これは確かについこの間までこの世界に生を享け、命を全うした人間だった物なんだと感じた。ここまで明らかにお世話になった人の死は生まれて初めてだったので、人、いや、屍が入棺している姿を前にしては立ち尽くすばかりであった。

名古屋の親戚曰く、死ぬ日の間際は苦しさに悶えつつも、だんだん元気がなくなっていって、命が終わったそうだ。

蝋燭が燃え尽きる前に一度大きく火を荒げてから消えるように、人の死にも中治り現象なるものがあるそうである。最後の力を振り絞ってホルモンをたくさん出し、その在庫が尽きると生は終わる。その苦しさがどのようなものかは知らないが、舞っている桜の花びらなど、私たちは何かが終わる瞬間を幾たびも見届けているけれども、その姿はさぞみすぼらしくも華麗な物なんだろう。

 

その後晩餐を経て、奇妙な安宿に泊まった。建物の中では、私が人生でいの一度も経験したことがないような艶やかさを感じた。私はまさに命が生まれる現場と命が終わる現場の両方を1日で経験した気分になった。

夜にも色々と思索を繰り広げていたが、祖母の死に関連して自分の生き様を見直し、将来のことを考えていた。それが祖母への最大の恩返しだと考えているから。これからの人生どのようにして生きていくべきか。後数日したら私は20になるというのに。人間は前半20年で人生の体感時間の半分を過ごすという。20年この生き方で合ってたか。なかなか悩み深い物である。そろそろ考えを定めて将来を決めなければいけない。不安定な世の中だ。興味の幅は広まり続ける。そろそろ自分勝手振る舞うのもやめないといけないのかもしれない。そんなことを名古屋の夜景を眺めながら感じた。

 

明くる朝は、昨日の雪や雨が嘘みたいに燦々と晴れ渡った。1人祖母の世話になった人があり、彼女の人生最後のゴルフの動画を見せてくれた。私も祖母からよくゴルフの話を聞いたものだ。

棺の中にはその時のゴルフウェア一式が納められている。何か好みのものがあったら副葬品として入れて良かったそうだが、私からはそういった品は何も入れなかった。自分が将来どうやって生きていくか考えることが祖母への最大の恩返しとなるだろうと思ったから。

 

私は通夜や葬式というのに数えるほどしか出席をしたことがないので、何をやっているのかという実感があまり湧きづらかったものだ。ただ指示された通りに焼香をし、合掌し、なんとなく祈った。

読経後の喪主の挨拶に「お見送り」という言葉が出てきた。そうだ、今私は「お別れの会」をしていたんだ。この仏様に縋っているらしき儀式は往生される際に迷わないようにやっている物なんだという事実に気付かされた。人間が人間としての生を終え、感謝の気持ちを伝え、まっすぐに浄土に召されるように願っているのだろう。

最後に、棺に花を供する。菊や百合、蘭、あとは洋花など、色とりどりの花を入れた。きっと死後自然に還るとか、浄土に往くとか、そういうことを表現しているに違いない。

 

それで式場最後の合掌まで終わったら、男は棺を霊柩車に運び、火葬場まで行く。名古屋の道は走りやすそうで、最低二車線が保証されており、こんな政令指定都市でも車社会になっているんだということをまじまじと実感した。谷戸の多く狭い道幅ばかりの横浜とは違う。こんなところに住んでいたら免許をとりたくなるんだろう。

 

火葬場はとても大きく、1日に最大で60人弱火葬できる大きい火葬場だが、友引明けということで火葬する人が多く、火葬の枠が取れないという人が多かったそうだ。やはり大都市名古屋だから人も多いのだろう。

一般に火葬というのは摂氏1000度前後で行われるのだそうだ。新しく綺麗なところで、火葬ができる。昔は葬儀屋や火葬場の人間には差別意識があったそうだが、そのような要素は私には感じられない。

 

1時間半が経つと、熱気を帯び、何もなくなった台車が登場した。

バラバラになった棺の粉、燃えた花の茎、そして散らばる人骨。これはまさに本当にマネキンではなくタンパク質が燃えて骨だけが残ったのである。

私は11年半前の夏に火葬場に行って骨が焼かれた跡を見に行ったことがあるが、その時は参列する人が多く骨もよく見えなかった。今回は人数も少なくまた義務教育などを経て生物学的知識もついたとのことで、骨については理解したつもりではある。

さて、竹と木の違い箸で納骨を行う。まず喉仏を拾う。骨の姿が合掌(座禅?)しているように見えているからか、喉には仏さんがいるんだよと言い伝えられているらしい。骨壺に一つ一つ納められていった。墓の中にはこういう骨壷が納骨されているらしい。私も下手な持ち方ながらも箸上げに参加した。一連の葬儀の流れは以上である。

 

葬式の知らせは突然やってきて、1泊2日の旅行だったかのようなごく短い儀式への参加だったが、人の命についての経験知を吸収できた。遺体への接触、花入れ、出棺、焼香、箸上げなど五感で葬式を感じたのだ。葬式の2日後が20歳の誕生日だったおかげで20歳の誕生日はあまりにもいつもと変わらず(ケーキを食べて、風船が飛んだのを観測したくらい)、こそと錯覚するほどであった。そして、現代の葬式はこれほどコンパクトに住むものなのかと実感した。よく小さなお葬式のCMをテレビで見るようになった人も少なくないだろうが、椅子も12席しかないし時代に合ったすごくこじんまりとした葬式の形というのを見ることができた。

 

一般に、日本で死者を埋葬する時は心肺停止となってから死装束を着せ、一連の葬儀を済ませ、霊柩車で棺を火葬場に運び、火葬して、遺骨を回収して墓を建てると言ったことをする。一連の儀式が終わって、墓が建った後は何も残らない。人間とはそれだけの存在なのである。今まで祖母が住んでいた大阪府内には帰る家があったが、ついに空き家になってしまった。私たちが帰省していたあの家はなんだったのか。私の苗字の故郷の地域に今まであった繋がりとは何だったのか。浪花のことも夢のまた夢である。

 

そうそう、この秀吉の辞世の句を引用していた最終講義「結局、人間とは何か」では、「死があることで人間らしさの感性が育まれる」と言っていた。誰しもが人生に終わりがあることを知っている、だからどうこの浮世に花咲かせ、萎んでいくのか、特に人間というのは社会的生物であり何かしら社会に爪痕を残したい欲求があるはずだから、みなその生き様について考えるのである。それは一人一人違い、包括的な定義はできない。この間死んだ祖母はその一つがゴルフだった。私はどんな生き様になるのだろうか。いや、するのだろうか。

 

 

 

 

本編は以上です。諸事情により、この記事をもって「田中惇貴」「三元」名義におけるブログの更新、および趣味でのソフトウェアサービス、AIサービスの開発をお休みさせていただきたいと思います。

VR・xR系の創作、「GPU機械学習をさせて実力を検証してみた」記事なども作る予定でしたがそれも取りやめプロジェクトごと削除します。しかし、今もControlNetやGPT-4などの素晴らしい技術が出続けていますゆえ、今後はAIサービスの進化の行く末を陰ながら見守っていきたいと思います。

 

やはり今後は、「田中惇貴」「三元」名義の活動で得られるメリットが少ないかもしれないと感じ、一旦こういう形で最終記事とさせていただくことにしました。今後は学業や卒業研究、就職と言った進路を見据えて頑張っていきます。なお、浮上率には自信がないのですがTwitterにも生息しており、そのうちブログに帰ってくる日もあるかも知れません。

 

では、また会う日まで。