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特急かもめでナガサキへ 〜平和を考える〜【2022長崎#3 博多→長崎】

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本日乗車するのは特急かもめ19号。これに長崎まで乗ります。今回は、廃止も秒読みの特急かもめに乗車して、長崎の原爆資料館などを観光する様子をお届けします。

 

また、原爆について解説した後、私の現在の平和への気持ちを整理します。はっきり言って最初の特急かもめはおまけ程度の紹介です。

 

 

特急かもめは、1976年、博多まで山陽新幹線が延びた翌年に電車特急としてデビューしましたが、そんなかもめも大きな変化を迎えます。

 

在来線の特急かもめとしては今年(2022年)で運用終了ですが、以降は西九州新幹線かもめとその連絡特急たるリレーかもめが運行される予定であります。

 

なお、当該きっぷはみんなの九州切符で発券しています。

 

ご登場

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博多駅に入線。885系の白いかもめです。個人的にはかもめは787のイメージで、こっちの方が座席が心地よくて好きなのですが、この白いかもめは振り子を搭載していて速いですが酔いやすいです。号数によって色(車種)も決まってるみたいです。JR九州のホームページでは、「DXグリーンがあります」「白いかもめで運転」などと備考欄に書いてあったりします。

 

座席は窓側とちょっと通路側が混んでいるくらい、まあまあな混雑率で、自由席の方が空いているかもしれません。

 

今回は特急かもめはメインではないので、残念ながらカットさせていただきます。

 

原子爆弾の落ちた町

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長崎に着いたあとは、昼食を食べて、ホテルに荷物を置いてきた後、原爆資料館へ行きました。いまロシアがウクライナに侵攻中であり、原子力を甘くみた言動が目立ち、核兵器の3度目の実使用が懸念されるこのご時世において、原子爆弾の知識をつけておきたかったのです。

 

現在日本の中学生や高校生の修学旅行では平和学習と題して広島や長崎に行く学校が多いです。しかし、最近は観光や遊びの側面が強い修学旅行で、あんまり平和学習の修学旅行を真面目に興味深い内容だと見入っている人は少ないんじゃないかというのが私の偏見としてあります。そもそも最近では修学旅行ですら行かない、行けない学校もありますしね。

 

現在、長崎は最新(latest)の被曝都市ですが、latestってことはまだこの記録が更新されてしまう可能性があるということなんですよね。

 

やはり怖いものが苦手な人には刺激が強すぎる可能性がありますが、怖いと言えども事実ですから、目を背けてはいけません。

 

元素マニアと原子爆弾

私は小学生の頃総合的な学習の時間に元素の話を習って、元素に興味を持ちました。それで別冊Newtonやセオドア・グレイ氏の原子の本を買って興味を読んでいたので、その記憶のおかげで高校の化学や物理の授業もいくらか楽に進めることができました。当時にもっと色々な本を読んでいれば理系は無双していたのでしょうが、徐々に興味がゲームを経てPC、動画制作などの方へ転向してしまいました。なので今はそこまでの元素ヲタというわけではありません。それでも一応ある程度の知識はあるつもりです。

 

別冊Newtonの本でニホニウム(当時はコペルニシウムまでで、ニホニウムは113番元素と呼ばれていました)の合成を見て、子供心に興奮した記憶があります。もっとも、このような核合成技術は、核に関連するトピックの一つですが超アクチノイド元素は性質がよく分からない上に短命の元素が多いですからね。実際に原子力として使い物になるのはウランとかプルトニウム、トリウムくらいです。

 

高校の化学で周期表というものを習うと思いますが、文系ではカルシウムまで、理系でも扱うのは鉄とか銅とかで、重元素は登場しません。出ても銀か鉛。左下へ行けば行くほどイオン化傾向も小さくなり、下へ行くほど出題傾向も少なくなります。しかし、核の話で取り沙汰されるのは下の方の原子群です。長崎に落ちた原爆のいわゆる「核」の部分である元素はプルトニウムで、周期表では割と左下の方にあります。

 

我々が核、核言っているモノは原子の中の原子核のことです。原子分子の話は化学でしますが、原子核の話は、どちらかというと高校では物理でやることになります(大学に行くと、化学でやる原子核の話もあります)。それもニュートン力学、熱力学、波動力学電磁気学の授業を全て受けてきた人たちの特権です。

 

E = mc^2の公式を知らない人はいないでしょう。質量に光速の二乗をかけたものがエネルギーである。光速はとても大きな数字ですから、原子核のようなわずかな質量から大きなエネルギーが取り出せるということを意味します。

 

じゃあどうやって取り出すのか。その一つの方法が核分裂です。1933年、レオ・シラードは核連鎖反応のアイディアを思いつきました。ウランやプルトニウムなどのある原子核中性子の照射によって壊れて、E = mc^2によって示される大量のエネルギーと、一個またはそれ以上中性子を放出します。その放出された中性子によって、反応を連鎖させ、莫大なエネルギー(破壊力・電力)を得ようというお話です。

 

この核のエネルギーを取り出すのはものすごく困難で、お金のかかることです。このエネルギーを取り出す技術を持つ(核を保有する)には先進国の政府が国家プロジェクトで管理するか、北朝鮮みたいに核開発に全振りするか、原発かしかないわけです。

 

それが軍事利用された時に核兵器になり、我々が最近死ぬほど耳にする「核」はこの意味なんじゃないでしょうか。この仕組みを発電に使うと原発になります。

 

原爆の威力

そういうわけで私も原爆については知っていたこともありましたが、今回その被害や威力についてもよく知ることができました。館内には黄色いファットマンの模型があります。

 

火球の表面温度7000度、一部何百万度にも達するところがあり、地上は3000度以上。爆風が走った後、反対方向に風が吹き、砂塵を巻き上げ、あのキノコ雲が生成されたのです。

 

エネルギーの内訳は、熱線35%、爆風50%、放射線15%。

 

その熱線は、あらゆるものを蒸発によって泡立たせ、人間を含むあらゆる生物を溶かす蒸発させました。その爆風は、あらゆるものを瓦礫にするほどの爆風で、建物が瞬時になぎ倒されました。その放射線は、黒い雨(炸裂によって巻き上げられたほこりやすすと放射性降下物を含んだ雨)、などになって地上に降り、細胞を内部から破壊し、当時の長崎市民に致命傷や後遺症を負わせ、今も苦しんでいる人がいます。

 

放射線についてはベータ線ガンマ線が特に危険とされています。ベータ線は、高エネルギーの電子となってベータ崩壊を引き起こし、体の構成元素の一部が別の元素に変わり、化学的に有害な物質になることがあります。放射性のやけどの原因とも言われています。ガンマ線は高エネルギーの電磁波で、到達して体内の細胞まで到達し、染色体を破壊するほか、癌として現れることがあります。

 

中性子線は、水や水素原子を含むコンクリートにしか貫通しません。被爆者の体を中性子過剰の放射性同位体に変えたりして健康に被害を与えます。中性子自体が危険なのではなく、中性子によって不安定になった原子核が体内の超ミクロレベルの電磁場を乱したり、ベータ線ガンマ線などを放出するようになったりして危険です。

 

さらに二次被害として町では、熱線で発火することにより火災が発生し、まさに地獄の様相。あたかも世界の終わりのように見えます。

 

加えて、プルトニウムは化学的にも発癌性があって危険とされていて、投下から何十年もたった今、癌も被爆者の被害の一つとなっています。

 

 

国際政治は情報戦争や謀略の渦の中にあります。情報戦争というのもアナログの時代から行われてきました。現在世界ではハッカーだとかDDoS攻撃みたいな、最新のヴァーチャルな戦術も用いられている訳ですが、やはり戦争には最新技術を搭載した攻撃が実使用される訳です。その一つがWWIIでは核兵器でした。

 

やはり内容がシリアスで、かつ放射線や核抑止力の話など直感的に理解できないトピックもあるので、全然時間が足りませんでした。気付いたら閉館時刻になっていました(16時前入館〜17時半閉館)。今度長崎に来たらもっとじっくり見たいです。

 

キューバ危機以来の人類滅亡の危機のさなかに

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ウクライナや極東情勢が大変な状態にあるこのご時世、私はこの記事を通して平和への思いを整理したいと思います。平和については、語るべきことは多いですが、今回は日本人の戦争の恐怖に対する心の持ちようという観点で考察していこうと思います。

 

この戦争への恐怖には、私は二つのどうにかして戦争を回避すること、悲観論的な話にはなってしまいますが、自らの死期を自覚してアポカリプス(まさかそんなものはあってほしくないですが)までの1日1日を噛み締めて生きることの対処法があると思います。

 

戦争を回避せよ

前者は一般的な戦争に対する感情なのではないかと思います。世界中の多くの人にとって戦争(武力闘争)は望まないものです。実際に著名人をはじめとした多くの人が戦争に反対する運動や言論を展開しています。

 

(嘘の情報は抜きにして)空襲や破壊の映像やメディアが西側メディアやSNSで流されているのを見て、世論が平和の話に移り変わっているわけです。

 

国家や地域・組織の、死人が出るほどの武力闘争に対して声を上げることは非常に価値があることだと思います。

 

変わる安全保障

そして、ウクライナ侵攻により、安全保障への意識も変わっています。安全保障や核武装などの議論も、2021年以前には聞かなかったワードです。核武装というと、平和から遠ざかるもののようにしか感じません。核抑止力がある種仕方のない話であると知っていても、被爆者の悲劇を目の当たりにすると、正直耐え難いものがあるものです。

 

日本が形だけでも領土を死守しているのは、形だけでもそうやって言わないと国家が国家でなくなるわけです。日本は外国や日本没落を狙う国内の人間によって崩れ去ろうとしています。

 

ただ、日本は今まで戦争や安全保障に対して対策してきたのでしょうか。例えば、日本は有事に今まで逃げ込める核シェルターを整備できていたでしょうか。日本の地下鉄はといえば、地上より多少はマシでしょうが、流石にロシアのレベルには及びません。

 

日本の原子力の技術力は、チェルノブイリと同レベルの災害から除染を遂行してきた実績があるほどです。(ロシア以外の)アジア初のアジアに由来する元素名を命名された国です。核保有国と並べるほどの技術力はあるはずなんですよ。

 

それにも関わらず、日本は平和ボケで、戦争なんて起きないはずだと暗示をかけるようにしていたわけですが、今回のウクライナ侵攻を受けて、そろそろ安全保障についての価値観が変わる世の中になってきたという感じがあります。

 

国民にできること

平和のためにみなさん色々考えていると思いますが、武力を持つことがかえって平和につながるという話もあります。そういう理論もあるんだということでいざとなったら感受してしまう可能性はありますが、そのほとんどが戦争で人を殺すためのものですから、極力兵器はない方がいいし、核兵器はもってのほかであると思います。

 

じゃあ日本国民は何もできないのか。私が思いついたのは一つあります。日頃から情報を眺めて、おかしいなと思った時に反論する、これは日本国民に与えられた権利として役に立つと思います。その異変に気づくのが難しい場合もありますが、色々な人が気付いて願いを突き通そうとしているものです。

 

死を見据えて1日1日を大事に生きよ(世界平和よりも個人の幸せの方が大事)

一方、戦争に対しての価値観は、個人の視点で見ると違った解が導き出されると思うのです。少々悲観的な考え方なので、受け入れられないかもしれません。もしかしたら失うものが何もない立場だからこそ、そして自分は大罪を犯しており罰されるかもしれないという自覚がある*1立場だからこそその考えに辿り着けるのかもしれません。

 

もうこんな状態ですから、やられたらどうしようもないですよね。明日空襲が、核ミサイルが東京に、横浜に、横須賀に、厚木に落ちる、一度爆弾や核を撃たれたら、死ぬしかないし、生きても地獄です。

 

男は国家命令で出陣し、お年寄りや子供も犠牲になります。国家のロボットになった国民に存在価値はない。私たちがどうできるものでもありません。

 

もしかしたら戦争以前の問題で不慮の事故や病気によっていつの間にか死んでしまうかもしれません。結局、自分自身が死ぬことは誰もが怖がっていることです。

 

そして、人間というのは不思議なもので、特に基本的人権が保障されている日本においては、非常事態になってしまっても身体に損傷がない限りは意外となんとか生きていけるもんなんですね。

 

そこに死ぬ運命があるなら、それを感じながらも、1日1日を大切に生きるというのが最善の案に思えます。

 

この世に生まれたことを喜び、この世で生きたいように生きればよいです。小さな幸せでもいいから感じて日々を生きるのがいいんじゃないんでしょうが。あまりその手の専門家じゃないのでうまく言語化できませんが。悔いのない人生を送り往生できるよう、常日頃より努力しておくべきです。

 

ただ、全員があまりにも厭世的な世界観、心理を有していたら人類総自決なんて話になりかねませんからね。あまり過激にならずに後生の一大事に向き合うことが大切です。だからこそ絶望ではなく「1日1日を大切に生きよう」と言っている訳です。果たして私にこれが実行できているかは知りませんが。

 

なお、ここで重要視したのは個人のレベルの平和や幸福感の話なので、ちょっと国際平和とは次元が違う話になってしまいました。

 

平和のために、我々はどのような心持ちでいるべきか

私は各人の身近な問題を解決するのが各人にとって最も重要なことだと信じていますが、各人の力ではどうにもなりそうにもないことに立ち向かって変えようとするのは本当にすごいと思います。

 

今が幸せなら何も求めないならそれでいいんじゃないんですか、ただその幸せの絶対条件に戦争のない世界があって居ても立っても居られないなら考えたり、それこそSNSで働きかけてもいいと思うが、それは私には少々荷が重いことかもしれません。

 

 

孫子は、「戦わずして勝つ」のが善いと説きました。本当に戦争がないのが一番いいですが、例えば今後中国が、南沙諸島尖閣諸島、台湾、沖縄、沖ノ鳥島、あるいは日本本土へと支配を強めに狙ってくる可能性が、ないともいえないわけじゃないですか。そうなってくると、日本が日本でいるために、小さな島であっても大きな資産だとして手放さないというのも頷けます。

 

 

個人レベルでは、個人の幸せのために国家レベルではない身の回りの問題を解決していけば、積もり積もって幸福や自分の中での平和になると思いますが、やはり自分の幸せの条件が戦争や国家間の安全保障に左右されるならば、怖さにもおじけずに声を出す、日本を自衛するべきなんじゃないんでしょうか。多様な情報を取得し、心の中で考えを決めることはその一歩ということですね。

 

どうしてもまだ現実味がない人も多いでしょうし、私も戦争の脅威というのは若干感じているもののまだ自分ごととして捉えることは難しいです。私は1大学生(執筆時)なので、これが正しい答えというわけではないです。また意見が変わってしまう可能性もあります。ただし、平和に対して大衆(日本国民)は無力ではないと気づいたなど、気づきも多い記事でした。

 

拙い意見ですが、この考えが皆さんの意見の参考になることを期待して、記事を閉じさせていただきます。

 

 

この記事は2022年3月に行った九州旅行の記事です。初めからご覧になりたい方はこちら。

sangen03.hatenablog.com

 

 

*1:人によってはそんなに大罪と感じないかもしないですが、人によっては気にする内容で